ポペリズムとファズのレイヤー  風船舎の目録「マッカーサーがやってきた(1945-1952+1972)」を、読んで

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去年の夏場である。私は駒沢公園の近隣にある、不思議な建物へと向かっていた。映画「ロビンソンの庭」のような植物に塗れたマンションに到着すると、風船舎の店主、赤見氏が私を待っていた。世田谷の中心地である風景とは異質を為しているその集合住宅は、赤見氏曰く次世代のロハス建築に置けるモデルともなってるそうで、時の流れが若干揺らいでいる錯覚を感じるアーキテクチャーという印象を受けた。少しばかりゆらゆらと揺らめいていて、所々に葉っぱがニョキニョキと、何となく雑音も無くなったような、強度なテントを張って住んでいるような、こんな所で風船夫婦は目録を作っているのかと、感動した覚えがある。 一年後、ポストを除くと分厚いカタログのような物が入っていた。風船夫婦が一年の歳月を掛けて作り上げた例の目録かと瞬間で理解した。占領期をテーマにした今回の目録は、時系列で構成されていて次々と断層を作り上げ、占領期の終わりと共に完結するのだが、最後の一点が占領期後の反戦ポスターで幕を閉じている。 杉本博司や山崎博の水平線の写真には、五大元素の肉眼で確認出来る二層を平面構成の如く写しこんでいくのだが、その風景は世界のあらゆる所で存在する風景であり、違う元素が存在する境目でもある。勿論、その断層は共存し合っている訳で、この地上での肉眼で見える最大面積の断層とも言える。風船夫婦は占領期をテーマに目録で断層を塗り重ね、反戦を最後の層として完結させたかったのだと思う。勿論、これは政治的な意味は存在しない。 建築の世界ではペーパーアーキテクチャーや、カプセルを飲みこんで体内で存在する建築物、といったオルタナティブな研究方法がある。ファッションの世界でもポペリズムという、切り刻む、穴をあける、等といった従来のモードとは真逆な発想が90年代以降に定着してきた。その精神は風船舎の師匠である、石神井書林月の輪書林、のバイイング理論が大きく影響している。 あの、妙な建物で風船夫婦は寡黙に目録を作り、表にも出ずに世間を騒がす様は、現行のファッションで例えると、アンユーズド、あたりと思うのは私だけでしょうか? それにしても風船さん、お疲れさまです。